開祖 日比野雷風について(2)
2.日比野雷風 神刀流の興隆〜晩年まで

  明治33年11月 37才
  神刀流剣武術・居合術の充実を図るため、小石川柳町に神刀流神刀館の本部道場を神田より移転建設。
 この時、東郷元帥、伊藤元帥、鳩山和夫氏、大隅伯爵、野津大将、出羽大将、大倉喜八郎氏、ライオン歯磨創始者の小林富次郎氏をはじめ多くの人々の賛助・後援を賜る。
 また、この小石川道場より多くの門弟が輩出され各地に神刀流は裾野を広げます。

  明治41年 45才
  韓国太子の御前にて武術を御覧供したる旨13師団長岡崎閣下より懇請を受け渡韓します。
  韓国において、韓国太子、各大臣の御前で日本武道の精神を説き、神刀流剣武術、神刀流居合術を演武する。韓国、李学相より「至誠如神」の書を賜ります。この年、国民実力の根本たる元気の養成を勉め報国の一分に貢献する処を期して神刀流神刀館道場の拡張を計画し、設立主旨書を起草します。
  以下、設立主旨書、賛助者及び、道場の改築落成式等、当時の新聞より抜粋します。

    設立趣旨
  日露大役は僅かに終われりと雖も、其実我国が世界に強国として単に実力の一歩を示したるに過ぎざるものにして、実力の戦争は不断に継続しつつあるものなり。
  [されば我国民は益々富国強兵の道に努めざるべからざるは勿論にして]中略
特に我日本固有の武術をもって其の胆力正大にし、其の体躯を強健にすべき事の重要なり
[中略]是に於てか大日本武術講習神刀館を起こし、以て国民実力の根本たる元気の養成を勉め、報国の一分に貢献するところあらんとす。希くは賛助あらんことを祈る。

                                    明治41年5月
                                    天下無敵神刀流開祖  
                                    大日本武術講習神刀館長 日比野雷風  
 

  本館は日本固有武士道の根本たる武術を授け、以て心胆体躯の修養を補益完成する所とす。

                                    伯爵      徳川達孝閣下
                             国民新聞社社長      徳富蘇峰先生
                             韓国前内務大臣      趙 重応閣下

  以下、大鳥圭介、桂 太郎、乃木希典、山県有朋、軍関係者、財界、宗教界など広く多くの賛同者総勢39名の著名人が名を連ねています。

  明治44年2月28日棟上式を挙行、同年11月28日、神刀館の開館式を挙行しました。
 東郷元帥、森田悟由禅師など多数の知名人の来賓数知れず。徳富蘇峰の開会の辞、東郷元帥の発声による「雷風万歳」の三喝によって開館式を終了しました。

  当時の国民新聞により盛況を偲びます。
  「秋水風を切って声あり」
  小石川柳町なる神刀館本部改築工事落成式は28日午前十時半より挙行せられたり。徳富蘇峰氏の開会の辞、巽 李軒氏の武士道講話、神刀流門人総代須賀正桜氏の祝辞等々あり。先づ道場踏初めを中島行孝氏が勤め、可憐活発なる小児五名の神刀流居合、撃剣試合薙刀型、最後に天下無敵神刀流開祖日比野雷風による居合五本、剣武五番の演武となり、
                  [後略]
   と報道されています。

  明治42年 46才
  上野清水観音堂に神刀流一門により大奉納額を納めます。
  松方正義元総理邸に皇太子(大正天皇)来訪の時、雷風が召されて殿下御前にて神刀流剣武術と居合術を演武し、斯道奨励の思召で御下賜金を賜ります。

  1917年 大正4年6月12日 52才
  神刀流創立35周年記念大会を明治座にて挙行。土方久元伯、川上景明元帥、上村彦之丞、出羽重遠大将、堀内中将、加藤寛治大将他ご来席を賜ります。

  1918年 大正5年11月28日 53才
  市村座にて演武大会挙行。大迫尚敏閣下出羽重遠大将、堀内中将他ご来席を賜ります。

   1919年 大正6年 54才
   新富座にて演武大会挙行

  1924年 大正11年 59才
  曹洞宗総本山、新井石弾貫主より「雷風和尚」の称号を印可賜ります(鶴見総持寺)

  1928年 大正15年6月25日 63才
  病気療養、死去


  開祖 日比野雷風について(1) 生い立ち〜剣武(舞)の誕生まで